表現で何かやりたい人の、3つのパターン(その2)

少し間が開いたんですが、前に投稿した表現で何かやりたい人の、3つのパターンってエントリの続きです。

前回は、(特にジャンルにかぎらず)表現関係で何かをやりたい人の属性として、「何に価値を置くか」で3つのパターンに分けてみましたが、今回は「何を自分の主な武器にするか」で3つのパターンがあるな、と思っているコトを書いて整理したいと思っています。

 

今回は、まず先に3つのパターンを先に羅列して、それから1つずつ掘り下げていきます。

大別して、

◎ 感性を主な武器にする人

◎ 知識と理論を主な武器にする人

◎ ルックスやコミュニケーション力や人脈などを主な武器にする人

です。

 

◎ 感性を主な武器にする人

自分の感性や価値観に強い自信や信念があり、それを最優先する人。

自分が作るものが人を動かしていける、という強い自信がある。あるいは、自分は自分のために生きて自分の作りたいものを作るのであり、人にどうこう言われたくない。という信念がある。

他人の評価や世間の流行は二の次にするか、全く気にしないタイプ。

良く言えば、他人や世間に影響されないだけの強さがある人。悪く言えば、自己中心的で、人に対して自分に興味を向けて欲しいと思う量と、自分が他人に対して興味を向ける量が、釣り合ってないことが多い。

このタイプの人から「知識や理論を主な武器にする人」を見た場合、その博学さや見識の高さに一定の敬意を払う事もありつつも、ただ机上で並べられるような*1「○○論」みたいなのや、言ってる本人にしては正論を述べているつもりであろう長い文章や小言も、自分の感性からして「ピンと来ない」と感じたら全てが野暮でしかなくなる。それよりも、そんな事言ってる間に何か動けよ、何か作れよ、自分でやれよ。って思ってしまう。

 

前回のエントリの時の「自分自身に最も価値を置く人」タイプが最もこのタイプに親和性は高いが、必ずしもイコールではない。

例を挙げると、プロの世界で成功しているクリエイターやタレントの人などには、自分の感性を最優先させつつも、一定の結果を出し続けるために同時に自分以外の反応や数字としての結果にもこだわり続けていく人も、少なく無いと思います。

 

◎ 知識と理論を主な武器にする人

その分野において、長く熱心に関わり続けてきたことで積み重ねてきた知識と、それによって作り上げた理論が一番の武器だ、という人。

良くも悪くも、自分は独創性や感性の人ではない、そこでは勝負できないという自覚がありつつも、それに対する解答として「しかし、この分野なら負けない」という落とし所を見つけた人が多い。知識や理論は、感性や独創性と違って、積み重ねればその分だけ確実に伸びていくし、積み重なっていくし、自分ひとりでもそれをすることが出来る。

良く言えば研究熱心だし、頭をつかう人。先を見通せる人。悪く言えば、頭でっかちで実践を伴わない理論に終始することもある。また、常に先行する誰かの何かがありきで、それを横から再生産・再解釈・再構築する形で消費していく形でしか自分を生かせない人。

このタイプの人から「感性を主な武器にする人」を見た場合、その独自性や自分自身に対する自信の高さにおいて「自分には真似できない」と感じて一定の敬意を払う事もありつつも、他人の行動や、過去の偉人や名作に学ぼうとせず、それよりも自分の方が上にあるという態度に対して、とても傲慢に感じられて相容れない事も多い。なんで今更その程度のアイデアを斬新だと思えるのか、アレを知らないのか、ちゃんと勉強してくれよ!みたいな。

  

前回のエントリの時の「自分以外に最も価値を置く人」タイプが最もこのタイプに親和性は高い。

特定の何かや誰かの研究家や批評家になったり、あるいは作り手だったとしても、裏方や作家として、自分以外の人が作っていく何かを支える人になる事も多いタイプ。

ただし、これも必ずしもイコールでもなくて、例えば一部のタイプのDJや、サブカルチャー周辺で批評などの発信を続けて本を出したり番組を持つことになった人のように、本来は完全な知識と理論と練習と研究のかたまりのような出発点から始まった人が、その先でもはや自分自身がひとつのジャンルや、ひとつのユニークな存在になり、今度はそれ自体のフォロワーが生まれる、研究されて再生産される立場になる、また自分達も自分達で独自のブランド化をしていく事になる、そういうパターンもあると思います。

 

◎ ルックスやコミュニケーション力や人脈などを主な武器にする人

誤解を招くラベルだと思うけど、けして感性や知識や理論がゼロの人、という意味ではなくて。

感性や知識や理論もそれなりに持ち合わせつつも、しかし「自分の一番の武器は?」となった時に、それらではない、それよりも自分の一番の武器は、自分のルックスであったり、コミュニケーション力であったり、人脈の豊富さである。という自負があり、その見切りがしっかりと出来ている人。

良く言えば、いちばん「妬まれがち」なポジションだけど、実際はこのタイプの人が結局はいちばん人を集めるし、場を円滑に回し、才能や理論をメインにする人を引き立て、嫌われ役も買って出て、しかしその実は自分の事を一番良く知っていて、それをマイナス面まで込みで引き受ける、いちばん大人で、いちばん地味な努力や根回しを惜しまない人であることも多い。悪く言えば、その性質ゆえに、自分の実力以上にピックアップされたり、祭り上げられてしまうこと、それによって本来はピックアップされるべき実力のあった人達が前に出られなくなることも、少なくない。

「感性を主な武器にする人」「知識と理論を主な武器にする人」から見た場合、前述のとおり「実力で勝負していない」「ズルい」と思われることが多い。しかし、それらのタイプの人達が作品の質、批評の質といった部分に価値の大半を置いてそれ以外をあまり重視しないのに対して、このタイプの人達は「それ以外の部分」に対して非常に目利きがあり、それ以外のタイプの人達の眼中には最初から無いような、周到な準備や、綺麗な飾り付けや、物事を分かり易くする工夫や、行き届いたアフターフォローが出来たりする。

 

前回のエントリの時の「結果そのものに最も価値を置く人」タイプが最もこのタイプに親和性は高い。

イベンターや、色んなジャンルの集団の中におけるアイドル的存在のようなポジションになることが多いタイプ。

ただし、これも必ずしもイコールでもなくて、例えばアイドルの人や、急に国民的人気を得る事になったポップバンドの人達が、何年かすると急にやたらと売れ線を外した内省的な作品を出したり、商業性とは縁遠い行動を取ってしまいがちなのも、そういう自分を自覚しつつ、どこかでそれに抗おうとする性質が何かあるんだろうな、と感じます。

 

 

そして、(ここからは前回とほぼ同じようなシメかたになるんですが、)これらの分類も前回と同様に、すべての人がキレイに3つに分かれるわけではなくて、誰しもが3つの要素をどれもそれぞれに持ちつつ、その中で人によっての濃淡があって、その中でその人のいちばん強いやつ、いちばん向いているやつが前に出てくる、そんな感じだと思っています。

そして往々にして、現実社会やライブの場では感性を武器にする人の瞬発的な爆発力や創造性や、ルックスやコミュニケーション力を武器にする人の実用的な支配力や人徳が強いことが多くて、逆にネットやラジオや雑誌などの媒体では知識や理論を武器にする人の方が向いていて、力を持つ事が多い。

そういった住み分けが起きていくこと、自分たちが最も生きる場所にそれぞれ流れていくことは自然だと思うしそれ自体は問題では無いと思うけど、その閉じられた中で同じ考え同士の人達ばかりで集まりすぎて凝り固まって、他の価値観を尊重できなくなったり、否定しだすようになると、ちょっと危険かな?と。

みんなちがってみんないい (c)金子みすゞ」的な精神は大事だと思います。ホントに。

*1:ちょうどこんな感じのブログの長いエントリや、雑誌やネットラジオのような媒体でとにかく「語って」消費されるタイプの