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「正しい」vs「面白い」

NHK一部のバラエティーに苦言 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

質問した日本維新の会中田宏衆院議員は、「NHKの番組が、ひとことで言うと低俗になっていないか。何だこりゃという娯楽番組が、いくつも並んでいる」と指摘した上で、「ケータイ大喜利」「コントの劇場」「七人のコント侍」の3番組をやり玉に挙げた。

「何人かに聞いても、『NHKがやる番組じゃない』という答えをもらった。NHKは何のために公共放送という意味を持ち、国民から受信料を徴収しているのかという自覚が疑われる。あまりにも民放のまねをしすぎていないか」と主張。「私が低俗と勝手に決めつけられるものではないが、娯楽番組ひとつとっても、地域性や日本の文化をひもとき、それに若い人が関心を持てる番組にしてほしい」などと、注文した。

僕は、人間は誰しもが、本能的に「自分が世界の中で有利な方に、必要とされる方向になるように、世界を動かしていきたい」という性質を持っていて、それに向かって日々行動している、と考えています。

お金や財産が人よりも多くある人や、自分の容姿に自信がある人は、お金の多さや容姿の良さは(当然ですが)社会的にステータスとして高く見られる世の中であって欲しいし、自分がお金の多さや容姿の良さを理由に社会的に優遇されるべきであるように社会を動かしたいし、そういう動きを支持していきたいと考えると思います。そして逆に、お金や財産が人よりも少ない人、自分の容姿に自信がない人は、お金の多さや容姿の良さが社会的なステータスに影響されない世の中、自分がお金の少なさや容姿の悪さを理由に社会的に差別されるべきでないように社会を動かしていきたいし、そういう動きを支持していきたいと考えると思います。そして、そのどちらもが、それぞれの(自己を守るための)自説を補強するためにあらゆる理屈を使って正当化して、更に同じような仲間を見つけて数を大きくして、社会で強い力を手に入れて自分の思う方向に動かしたいと考えている、そういうぶつかりあいの連続が社会を作っている。

そういう風に考えています。

そして、それらは(当然ですが)お金や容姿の問題だけに限らず、あらゆる要素で同じようなぶつかり合いが起こります。頭の良い人と良くない人、運動が出来る人と出来ない人、要領のいい人と悪い人、器用な人と不器用な人、生まれつきの障害のない人と障害のある人、などなど、あらゆる要素で相容れない人達が「自分達は社会で優遇されるべきだ」「そんな理由で優遇されることのない社会にするべきだ」という思いをぶつけあっていて、お互いがそれに「自分達のほうが正しい」「こんな偉い人も自分達と同じことを言っている」「多数派が社会を動かすのは仕方のないことだ」「強いもの、優れたものが選ばれるのは市場原理としても理にかなっていることだ」などと理屈をくっつけて、両側から正当化し合っている*1

そういう風に考えています。

もっと行けば、自分が好きな人を自分の方に振り向かせたいのも、自分が嫌いな奴の悪い話を他の人にも言いふらして、誰からも嫌われる奴に仕立てようとするのも、自分が好きなタレントやグループやスポーツのチームなんかがもっと人気がある立場になるように一生懸命にファン活動をするのも、いわば「自分が世界の中で有利な方に、必要とされる方向になるように、世界を動かしていきたい」という行動原則の一環なんだと思います。

そういう風に考えています。

なので、政治家のような立場の人が、自分の立場、自分の本能として、社会に「面白さ」を必要としない、面白さは必要とされない社会、誰もが面白さよりも「正しさ」を持っている社会を望むのは当然なんだろうなと思います。

誰もが正しさよりも面白さを必要とする社会なんて政治家にしたら転がしにくいだろうし、こういう政治家の人たちの言う「正しさ*2」をしっかり身につけた人達でいっぱいになった世の中の方が、ずっと自分の思う仕事のしやすい世の中になるだろうし。そういう理想に向かっていくために、世の中から「面白さ」を否定していく。それは正しいことなんだろうと思います。その人にとって。

でも、それは僕は困りますので、僕は僕の立場、僕の本能として、出来る範囲で反対させていただきますし、自分の立場、自分の本能から見て「こういう人に任せたい」と思う人に政治家になってもらえるように、選挙権のある大人として行動していかないといけないんだな。と思わせられました。

かの有名な歌手も歌っています。

誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ

 みんなの願いは同時には叶わない

宇多田ヒカル『誰かの願いが叶うころ』より)

泣きたくないなら、自分の願いは自分で行動して、どうにかしていかないとな、と思うのです。

 

さあ、4月6日は京都府知事選挙です!京都府民の20歳以上はみんなで投票に行こう。(いや、どんなオチや)

*1:こういう流れの成れの果てが、人を国籍や出身地や男女の性差などで2つに区切ってレッテルを貼り合うような不毛な戦いにもなると思うのですが、そこに行くと更にややこしくなるし、それは今回やりたいテーマではないので割愛します(・w・;

*2:ただし、ここでいう正しさは「それぞれの考える正しさ」のようなモノではなく、平たくいえば「俺と同じ考え方、俺と同じ認識を持て」という意味なんですが。