ルージング・コントロール

初めて就職して入った会社は、今にして思えば異様な会社だった。

会社名や業種は割愛するけど、入社して最初の1ヶ月くらいは普通に週に2日あった休みも、ゴールデンウィーク明けくらいから普通に「2日の休みのうち1日は自主的に出社するように、なぜならこの会社では全員がそうしているから」みたいな理由で実質1日になり、退社する時間も定時の20時にはそもそも会社に戻れてないことが当たり前になり、22時、23時、25時、気がついたら「日付が変われる前に帰れる日は超嬉しい」くらいになっていた。そのうち週に1日の休みも無くなり、いつの間にか「あぁ、この会社は新人が入ってくる4月以外は基本的に休みとかないんだな」というのにうすうす気がつくようになった。

そのうち、月曜日から日曜日まで出社したまま帰れないようになった。月曜日の朝に1週間着回せる分だけの服をカバンに詰め込んで出社して、日曜日の朝に始発で帰ってくる。ひたすら洗濯機を回して、干して、その間は寝て、それ以外にやりたいことなんか何もなくて、すぐにまた月曜日が来る。

自分の人生の中で、その数カ月だけはテレビもネットもほぼ一切見てなかったし、音楽やお笑いのコトを気にする余裕もなかったし、音ゲーさえもやっていなかった。最初の僅かな時期こそ一人暮らしを楽しんでいたワンルームもすぐに寝るだけのための場所になり、誰かと連絡を取るという余裕も時間もなかった。今まで自分が楽しみにしていたこと、生きがいとしていたモノがいつの間にか全て失われると、自動的にそこに「仕事」が入ってきた。恐ろしいもので、それに抗いもせずに「今は仕事がうまくできるようになるコトだけを楽しみにしよう」とやや本気で思っているフシもあった。

社会人になるというコトはそういうコトだと自分に思い聞かせていたし、今はこんな状況でも、何年か我慢してたらいずれ少しずつはまた自由になっていくだろう、そう思う以外に今は出来ることがない、と思っていた。なぜか「辞めよう」「逃げ出そう」とは思わなかった。この程度を超えられなければ、自分はもう社会のどこでも何も通用しないと思っていたし、毎日そう言い聞かされてもいた。

 

幸か不幸か、自分が入社して半年経たないくらいでその会社は社会的に蒸発することになり、自分も荷物をまとめて実家に帰ることになった。

新卒で就職してすぐにドロップアウトして戻ってきたから相当に申し訳ない、気まずい気持ちはあったものの、実家の方も辞める前の数ヶ月は連絡もほとんどマトモに取れない状況だったのも判っていたので、とりあえず少しの間はとやかく言わず放っておいてくれた。

久しぶりに自転車で市内を走り回った。久しぶりにゲームセンターで音ゲーをして、本を買って、夕方に家に帰ったら19時から「爆笑レッドカーペット」をやってるのをオンタイムで観られた。次の日は昼からうめだ花月、夕方からbaseよしもとを観に行った。誰に対してなのかさえもわからない罪悪感に包まれながら幸せだった。というか、今にして思えば変な感覚だけど、しばらくは仕事をしていないコト、仕事以外のことをするコトに対しては、わけのわからない罪悪感しかなかった。

その後しばらくして何とか無事に再就職でき、新しい職場では少なくとも週に2回の休みが奪われることは滅多になかったし(たまに病欠の人の代理とかで緊急で入る日はあるとしても)、残業だってあってないようなレベルだった。たまに遅くまで書類に追われる日といっても日付をまたぐようなことはありえないし、普段はそれこそ仕事終わりで走れば19時や20時からの劇場での夜のライブを見ることも出来る程度には早く帰れる。

そういった日常を取り戻すと、いつの間にか遊ぶコト、仕事以外の時間に仕事以外のコトをして過ごすコトに対する罪悪感も消えていったし、仕事以外のコトで「自分はこういうコトがしたい」と思うようになる、実行に移していけるレベルが、少しずつ上がっていくのを感じていた。そうなるにつれ、前職の時を思い出すと「あの頃はなんで、あそこまで切羽詰まった行動しかできなかったんだろう…」とも思うようになっていった。今の職場や今の仕事にも問題や自分自身への課題は少なからず山積みに存在するけど、しかし当時と比べれば相当に余裕があり、幸せな状態にあると思っている。

 

人間は、何らかの理由で急に余裕がなくなり(例えば、時間、お金、モノ、人間関係、自分の名誉や立場、そういった自分を支えている要因の何かがどんどん削られたり失われたりして)精神的に弱ってたきら、弱るほど自分の中の判断力は落ちていくし、物事を捉えるための視野は狭くなっていくし、結果的に選択できる次の行動のレベルがどんどん落ちていく、と思う。

ちょっと正気に戻れたら「なんでこんな選択をしたのか?」って思えるコトも、その時は必死に考えてそれをベストと思って選んでいる。例えば、人が自殺するのとかは、それの極限たるものなんだろうな、と思う。

人が自殺したニュースとかを目にすると、「そんな理由で、何も死ぬことないのに…」って思うけど、きっと当人にしたら限界まで追い詰められ、弱りきった精神レベルでは、考えられる最善の選択が「もう死ぬしかない」ってなるんだろうなと思う。それほどに、人は弱ると正常な判断ができなくなるし、信じられないような選択肢を正解だと思い込んでしまう。

だから、個人的にはどんな状況でも、ヤバいと思ったらとにかく逃げちゃえって思っている。とにかく逃げて、いったん距離を置いて、落ち着いて見つめなおして、それから考えたらいい。その程度で死んだりすべてを失うようなことはないし、むしろ、自分がそういう状態の時に助けてくれないような人や組織は、自分の人生の方から必要ないと思っていいと思う。そして、逆に自分の身近な人で正常な判断を失ってると思える人が居るときは、その人だけじゃなくてその人を囲んでいる状況に目を向ける必要があると思うし、そういう追い込まれて判断を失っている状況の人に、まっすぐ常識を持ちだして説得するのは、お互いに辛くて不毛な作業になってしまうと思う。

 

そんなコトを思い出した、お昼のニュースでした。