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月夜の星空は

ナインティナインのオールナイトニッポン」が、今夜の放送をもって終了する。

 

自分がいわゆるヘビーリスナーだった時期はそんなに長くないし、そもそも現役で聴いていた時期を離れてからも久しくなる。中高生の頃こそタイマー付きのラジカセで120分テープに録音して、その日の朝に新聞配達しながら聴いて、次の木曜までにも2回3回と聴いていたけど、大学生になった頃から聴いたり聴かなかったりして、社会人になってラジコを使うようになってからは完全に「毎週とりあえず録音だけしておいて、聴ける時だけ聴く」みたいな距離感になっていた。正直に言えば、ここ数年はほとんど毎回積んでいて、ちゃんと聴いていたのはスペシャルウィークくらいだと思う。

そんな風に、もう長らくリアルタイムでは聴いていなかったけど、そんな自分とは全く関係なく、いつでも木曜日の夜にはナインティナインはラジオの前に居て、自分もそれを毎週とりあえず録音しておけば、いつでも聴きたい時に、その時々のナインティナインのラジオが聴ける。

そして、その関係は、きっと一生に近い長さで続いていく。

今週末でも、来年でも、5年後でも10年後でも、例えば自分の部屋でする事がない時、例えばひとりでちょっと旅行に出る時、当たり前のように自分のパソコンから録音を取り出せば、それをいつでも楽しめると思っていたし、いつでもそこには、変わることのないナインティナインのラジオが、自分の知らない芸能人の日常やテレビの裏話があって、岡村さんがボヤいて矢部氏が優しくたしなめて、いつ聴いても面白いネタハガキのコーナーがあって、それを楽しめると思っていた。

当たり前のように、そう思っていた。

特に、この数年には番組本が出る前後などの「来週は重大なお知らせが…」などとアナウンスされる時など、番組の存続も危ぶまれるような雰囲気を感じられた時もあったけど、それもつい先日の999回と1000回を乗り越えた時の放送の雰囲気で、なんとなく「あ、もう終わらないんだな」と勝手に感じ取ってしまい、安心してしまっていた。

その矢先の、終了の知らせだった。

放送終了が知らされた次の回から先週までの放送はさすがに自分も(リアルタイムだったり録音だったりしながらも)聴いたけど、そこには自分の記憶の中のラジオと比べても、いつも以上でも以下でもないラジオがあった。

当たり前だけど、20年も続けてきた、その中で爆発した回もあれば思うように行かなかった回もあっただろうし、淡々とこなした通常回もあったはずだ。ナインティナインがすごいのは、それを全部含めてずっと続けてきたこと自体であり、それを最後までやり通すところだと思う。ここへ来て最後の数回で特別なゲストを呼んだり奇抜な企画をするのでなく、今までの人脈とコーナーを振り返り、今までと同じ温度のフリートークだけで最終回に向かっていく。そんな感じが自分は心地よかったし、嬉しかった。

 

少し前に「笑っていいとも!」が終了する際にも、多くの人が同番組への思いや、「人気ある長寿番組が終了すること」についての自分の考えを寄せていた。

ただ、個人的には今回のそれは、「いいとも!」のそれとはまた違う意味を持っていると思っている。

「いいとも!」が平日の正午に常に当たり前のように存在し続けて、お茶の間をいつも同じように彩っている時、そこに視聴者とテレビの向こう側との間には、常に一定の距離感が存在していた。

タモリという人のパーソナリティや「いいとも!」という番組は、けして視聴者にぴったりと寄り添ったり、自分をフルに切り売りして魅力や人気を獲得していたのではなく、常に一定の距離感を置きながら、いつでも変わることのない正午のお茶の間のテレビ番組として機能し続けた。けして司会者やレギュラー出演者の人間的成長や変遷、番組としての進化、そういった長い時間軸から生まれるモノを売り物にした番組ではなかった(終了前の半年はそういう面もあったけど)。

対して、ナインティナインのオールナイトニッポンは、番組の歴史であると同時にナインティナインの人生の切り売りの歴史だったと思う。最初は若くて尖っていた二人は、テレビや芸能界の裏側をラジオに持ち込んで、リスナーを相手に生々しく語って愚痴をこぼして理想と現実に葛藤して、リスナーはそんなナインティナインの話を夜中にヘッドホン越しに一人の世界で共有することで、自分が体験できない芸能界や、芸人さんの世界を追体験したり、たまに出てくる「板東英二とモメた話」とか「KEIKOに裏でディスられた話」とか、誰かの内緒話に自分もコッソリと混ぜてもらってる感じが、少なくとも自分は毎週ホントに楽しみだったし、たまらなかった。

自分を含め、リスナーの大半はナインティナインの二人と面識があるわけでもないし、当然ながら友達と呼べるような関係ではないけれど、そうやって毎週二人の心の開ききったトークを聴き続けて、それをリスナーとして好意的に受け止め続けている以上、そこには親友や家族に対してと同じような意味での愛着、けして「正しさ」や「格好良さ」、「面白さ」だけで評価が変わるようなものではない関係が結ばれていたと思う。

そんな関係を結びながら放送を重ねて、二人も若くなくなってどんどん人間的にも丸くなって、一度は体壊したりもして、フリートークではたまにビックリするほどに世間と感覚のズレを見せるくらい「おじいちゃん」になっても、リスナーはその一連を共有してるからキライになんかなれない。そういう番組だったと思う。

 

昔のヒット曲を聴くと、人はその時代に生きていた記憶をセットで思い出すのと同じで、その時々のラジオの記憶はそのまま自分のその時期を生きていた記憶と直結している。

今、過去の録音を引っ張りだしたり、番組の公式本のCDで昔のトークを聴くと、そこには昔のナインティナインが居ると同時に、昔のその時代に生きていた自分の記憶も蘇るし、また逆に「そういえばこの頃、(番組内で)あんな事件があったな」「あんなコーナーが流行ってたな」くらいまで思い出されるほど、自分の記憶と、番組の記憶と、ナインティナインの記憶が縫い合わされている。


オールナイトの二人は(これは深夜ラジオのパーソナリティなら、そもそも大半がそうだけど)演出のない生身の二人組だったし、自分から見て心理的距離の近い、数少ない人間のうちの二人だった。自分は「めちゃイケ」のナインティナインも、「ぐるナイ」のナインティナインもそれほど好きではないのかもだけど、ラジオのナインティナインは好きだった。

そんな人達が、来週からはもう話を聞かせてくれないという。少し心理的にも遠い場所に行くことになりそうだ、という。今までよりは。

 

もちろん、既報の通り、番組自体は来週以降も岡村さんのみで実質の継続はするし、そもそも自分は最初にも書いた通り、今はさほど毎週の放送を楽しみをしている現役のリスナーでさえ無い。

そんな自分でも、これくらいの胸のザワつきと不安を覚えるのだから、番組をずっと楽しみにしていた人、今も毎週リアルタイムで楽しみにしている人の気持ちたるや、自分には想像もつかない。

数時間後には最終回が始まる。自分も今日はちょっと先に仮眠して、最後はリアルタイムで放送を聴いていたいと思う。