「語りたい」という欲望

※めっちゃ断片的なんだけど、最近感じていること。

そのうち、ちゃんとした文章の形に整えられたらと思いますが、そのためにも一度、棚卸ししておきたいこと。

 

人はなぜ語るのか。自分が好きなものや、嫌いなものを。

なぜ語りたくなるのか。特定の誰かや、誰に向けてかも自分でも判っていないような不特定多数の誰かに。

 

語る事で、誰かに自分が感じていることを伝えて、それが誰かに届いて欲しい、あるいはただ無限に拡散されてほしいと思ったりする。

(例:自分が好きなミュージシャンやタレントの話をして、少しでもその魅力が多くの人に伝わるように、そのファンが少しでも増えますようにと思ったりする時など)

語る事で、自分の中にある感情や知識の組み合わせが、誰か(あるいは沢山の人)と同じである、あるいは近いことを確認したい、と思ったりする。

(例:あの作品はあの部分で感動した!とか、あの作品はあの部分がダメだったよね!っていう話で盛り上がっている時など)

語る事で、その対象への自分の中にある知識や見解が、ある程度の高いレベルの状態にあることを誰かに知られたい、また、それが広く活用されたり、その結果として尊敬されたりホメられたりしたい、と思ったりする。

(例:自分が非常に大好きである何かに対しての膨大なデータベースや、普通の人が知らないようなマニアックな注釈などをたっぷり入れた評論などの文章を雑誌やネットで公開したり、ラジオやトークライブなどの媒体で熱弁するとき、またそれに近いことを日常の会話で行っている時など)

またある時は、語る事で、その対象への自分の中でもまだ整理がつききっていない感情や見解を、文章や言葉に落とし込みながら、それをどう表現するかを棚卸しして、少しずつ推敲して、整理して、いっぱしの形にすることで自分自身の腑に落とそうとしたりしている。誰かに向けて語っているようで、それ自体が自分による自分への言葉だったり、もっといえばひとりカウンセリングのような状態だったりする。

(例:このエントリなんかもまさにそれだし、自分はいわゆるネット上での「実況」ちと呼ばれる書き込みや、ホントにひとりごとのようなツイートの類なんかは、多くがそのタイプの性質を兼ねていると思っています)

他にも、何かについて語ることで、その対象について「知っている、語りたい人(自分)が居る」という事を誰かにアピールしたかったり、何かについて語ることで、暗にそれについて語られることを好まない人を遠ざけるような手段に代えたり。他にも今は思いつかないけど、まだまだ理由はあると思う。それこそ無数に。

とにかく、色んな目的があって、自分は、あるいは人々は語る。のだろうなと思う。

すいませんオチはないです。m(_ _)m