夜
ついさっき、NHKの「ケータイ大喜利」で自分の投稿が読まれた。
2問目、ルーキーのみ参加できるお題の時間。いつものように、いくつか解答を送信して、あまりいい答えが浮かばなくなった時点でケータイを置いて、画面を見ていて。
「京都府」まで呼ばれた時点で、いつもビクってなる。自分のが来るかも!って、いつも、期待だけはする。だけど、その後にはいつも、当たり前だけど自分の名前は来ない。そんな繰り返しを何度も何度もやってきて、急に自分の名前が呼ばれた、
ケータイ大喜利は、6年くらい前にレギュラー放送が始まった当初はしばらくそれなりに熱心に投稿もしていたけど全く読まれることもなく、そのうちに「こんなのは(自分なんかが)読まれるわけもないな」と思ってしまったら熱も冷めて、徐々に番組は見るけど投稿はしなくなり、そのうち番組も見なくなってた。
そして、去年くらいからまた、個人的に大喜利のオフ会みたいなのに参加するようになったこともあり、その関係もあって再び毎週くらい投稿するようになっていた。だけど、相変わらず読まれることはなかった。
ただ、以前と違って自分の中で気持ちが変化していて、読まれないことに対しては全くどうとも思わないようになっていた。むしろ、それが当たり前だと思っていた。
約1時間の生放送で数十万という投稿がある番組で、自分の投稿が選ばれる確率、何十万という参加者の中で何人が読まれて、何十万人が読まれないのか、今夜もケータイを片手に「読まれなかったなぁ」で終わる人が全国に何十万人いて、その中に自分よりも面白い回答を送っている、才能に溢れているだろう人がどれだけ順番待ちをしているか。そんな事を考えるようになっていたし、自分としては全く結果は期待せずに、ただただ何十万の投稿の山の中のチリのひとつになりに行くつもりでお題と向き合って、好きな様に遊んでいた。そんなスタンスになっていた。
そうやって、変な諦観と、それなりに捨てきれない「でも読まれたい」って欲を持ちながら、毎週この時間を過ごすのが当たり前になっていた。
そしたら、急に自分の名前が呼ばれた。
ほとんど無の感情でテレビを見ていた。自分の名前が出ている。答えが読まれてる。ちょっとスベってる。アンテナ二本。メジャー昇格です。てーてーてーれー。
マジで?
全く現実感のない時間を過ごしたあと、ケータイにものすごい勢いで知ってる人達から「見てたよ」的な連絡が流れ込んできた。
ああ。本当だったんだ。と思った。
一応もう一問残っていたし、一応は参加した方がいいと思ったけど、ずっと「さっき読まれたのは本当だったのかな?」みたいな気持ちは抜けなかった。
そんなわけで、まだ動悸が収まらないのと、自分の人生で、こんな気持ちになることはそう何度もないと思うので、非常に色んな意味でイタいだろうなーとは思うけどブログに残しておくことにする。
イタ恥ずかしいついでにこんな曲も聴いちゃう。
長く生きてると、たまにはこんなありがたいコトもあるもんだなと思う。生きていてよかった。(・w・;*1